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■ [毒吐記] やはり日本の権利者は著作権ファシストであったわけだ

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/18/news125.html

の記事についての話。

過去の日記である

http://d.hatena.ne.jp/cruel/20070113

では著作権原理主義者と書いたけど、どちらかと言えば著作権ファシストのほうがぴったりだよね。「一切の自由主義、民主主義、平和主義を排撃し、内にあっては暴力的独裁、外にあっては公然たる侵略主義をとる体制 (Wikipediaより)」っていうファシストの定義からするとさ。

俺個人の意見は津田さんがほぼ全て語ってくれているので言うことは特にないんだけど、前々から日本の権利者は甘えすぎだと思ってる。権利だけ主張して義務を果たしていない。この場合の義務とは文化の発展に寄与するための活動でもいいし、強大な権利の元でよりよい作品を作ることでもいいけど、どっちにしろまるでダメ。駄作乱発、金だけよこせが横行してて見るに堪えない。まともな文化的価値があるモノなんてどれくらいあるんだろうか。

ダウンロードも違法化して、より大きな権力(=金)を得たからいい作品がたくさん生まれます、って訳でもないだろ。生活苦から脱出できます、か? 少なくとも俺の経験から言えば、苦しくて苦しくて限界の時にこそいい物は生まれるよ。今の仕事にしろ、以前の仕事にしろそうだった。そういって追い詰められない限りアーティストなんてまともにモノが作れるとは思えない。

精神的苦悩が深い故に、誕生する作品もまた素晴らしくなるというのがだいたい常だと思うんだが(過去の名作と言われる作品を作ってきた人たちの伝記でも読むとわかるだろ?)、そうじゃないのかね、最近は。

アーティスト論に脱線してしまったが、権利論からしてもユーザーに対してまず悪人であると決めつける「性悪説」から入ると嫌悪感を抱かれるのは致し方ないだろう。例えばお店に入ったとして、自分のことを泥棒だという目で監視されたときの気分を想像するといい。そんな店で物なんて誰が買うかよ。それと同じ事をユーザーに対して行うのが今回のダウンロード違法化だ。

例えに戻るが、その店に置いてある商品がとてもいいもので、そこにしか売っていないものでかつ自分がとても欲しいものであったなら、仕方なく買うかもしれない。多分ダウンロード違法化を推し進める人たちは、自分たちの作品のことをそう思ってるんだろう。

残念ながら、あんた達の作品にはそこまでの価値はないぜ?

パンがなければケーキをじゃないが、あんたらの作品が無くてもCGMなコンテンツも最近は楽しめるものが増えてきたし(わかりやすいところだとミクミクとかな)、代替となる楽しみはいくらでもある。お仕着せの音楽やテレビやゲームがなくても、俺は困らない。むしろ今まで使ってきたコンテンツに対する金を別の所に振り向けられるから、より人生が有意義になりそうだ。

前にもさんざん書いたけど、こういったユーザー無視の施策をとる限り、ユーザーが権利者を見限って購買をやめることはあっても、新規ユーザーが増えることはない。また権利を強化したからといって、逃げた客が買ってくれたはずの遺失利益以上に収入が増えるとも思えない。パブリックコメントを無視してまで強行した方針決定に、コメントを投稿した人はもとより、他のユーザーも怒っている。津田さんが指摘するように、大規模な不買運動が起こる可能性もあるし、大きな流れにはならなくても、逃げるユーザーは増え続けるだろう。

思いもかけず長文になってしまったが、最後に俺が予想するコンテンツ業界の未来を一言で書いておこう。

そして、誰もいなくなった。

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